【いらんことする】裏・考察駄文

勝手に解釈、そして自萌えとネタバレと自己満足のみで構成された駄文。解釈違いならごめんなさい。

アホらしくて読んでられんわ。という方はどうぞ。


以前のブログにも書いていたのかもしれないが、以下のタイトルで短文を書いてみた。



〈1〉本当は翁面が正しかったのでは?晴明様。(何故、晴明様は小面を被っているのか?)

〈2〉松虫とは?(万と松の関係・・仮説。)


<1>本当は翁面が正しかったのでは?晴明様。(何故、晴明様は小面を被っているのか?)

晴明様というと、小面に白髪、烏帽子に狩衣というスタイル。 「おじいさん」がなぜ「若い娘を表現する」の面をかぶってるのか? 実はよく考えると珍妙なスタイルなのである。キャラデザをした田島氏の話だと最初は「翁面」にしたはずだが? ・・とのこと。(DVD特典映像:スタッフ対談より) ところが、「小面」のほうが「見た目が不気味」だから、という理由で改変されたらしい。
確かに見た目の不気味さは増すが、本質的なキャラの意味からズレていってしまい、晴明様はキャラの厚み を失う事になった。
「翁面」の「翁」は「人々に祝福を施すめでたい存在」である。 正月に「能舞台」では新年を言祝ぐ意味で「翁舞」が上演されることが多い。 この「翁舞」・・はもっとも古くからある芸能神事である。 平安編のはじめに「翁舞」を奉納する旅を万歳楽が行っていた事が分かる。主上の命で奉納舞に行かされてた 場合もあるようだ。(第7幕)
そういう伏線の意味で「翁面」のメッセージ性は高い。 晴明様は、表向きでは都の人々のために祈っていたが、実はそのウラでは・・という存在なのだ。 卜部の言葉からすると、以前は都人だけでなく、地方の民まで思いやっていた実にイイお方なのである。 つまりは民への祝福と平和を願う神、まさに「翁」の存在だったのだ。 被っている面が「小面」ではなく「翁面」であったならば「ヒトに祝福をあたえる存在の翁」が、実は裏で都破壊計画 を画策しているようなものだ。
ものすごく変な例だが、よい子の味方サンタクロースが爆破計画している。と思ってみたらイメージできるかも。
見た目が一瞬不気味な「能面の小面」だが、残念なことに「見た目の薄気味悪さ」だけで終わってしまったのである。 晴明様=万歳楽というキャラがもつ厚みがペラペラになってしまった・・・・。 確かに視聴者に見た目のインパクトを与えることも大切だが、この作品の裏にながれるわりとマニア向けな (わかる人にはわかる)的な伏線で重厚感を増してもらいかたかった。そういう意味で、最初に設定されていた「翁面」こそ正しかった のではないだろうか?と私は勝手に思っている。
「翁舞」(三番叟)をテレビで放映したので録画して観てみた。
地謡が「万歳楽」と何度も吟じている。これは「長寿」を寿ぐ言葉である。 翁舞で被る「翁面」であった場合、これを知っている鋭い視聴者が作品を見たら、簡単にネタバレしてしまう可能性がある。 そういう意味では「ん??」な小面は、正体を攪乱させる意味で機能していたのだろう。
本来の意味からはかけ離れてしまったが、早期ネタバレ封じのため、「小面」が使われた可能性もあるのではないかと思った。


<2>松虫とは?

この子は万歳楽がどこからか拾ってきた子なのであろうが、正体が全く謎なのである。 これは個人的な考察の一つだから、おかしい箇所もあるだろうが書いてみた。
 「古代は荒ぶる霊(魂)を鎮めるために幼い子供を生け贄として捧げた習慣がある」 というのを本で見た。(未だに神社の祭りで稚児行列なるものがあるのはその名残だろう・・と。) その子供は「ひとつもん」とよばれ、かけがえのない大切な「犠牲」だったらしい。 幼い童(男の子)を捧げる以前、もっと太古は「童女」を捧げていたということらしい・・。 (梅原猛:翁の起源より)
 松虫は遠い昔、地の鎮めのために捧げられた「童女」なのではないだろうか? 都造営の時、密かに都の地に捧げられた贄で、その「命」を受け取ったのが万歳楽=都の精霊。 だからこの子を特別視している理由も納得がいく。
「地のカミ」に捧げるなら容姿・能力ともに申し分ない子供だったのでは? 霊力も高かったのだろう。巫女的な要素もあるのかもしれない。 この子が平安編/東京編ともにこの世ならぬ不思議な空気を纏ってるのは、そのせいであると思う。 だから多分成長しないし、幼いまま再び死ぬ因縁を繰り返してるのかもしれない。 万歳楽のような精霊よりもヒトにちかい。でもヒトというより、彷徨える霊のような気がする。 (東京編の松虫はラストで現世に戻ったというより、老人だった弟とともに子供の姿で黄泉に向かった・・ように見えた。 二人の歩く先が暗いからそう思える。金太郎の別れ際に”またね”の言葉が意味深。彼が深く考えてる様には思えないが、 縁があったら、次の世でも会いましょう・・みたいに聞こえた。)
「松虫」という名前も「短命」や「はかなさ」を意味する言葉なのだそうだが、 万歳楽は、自らを「終わりなき時を生きる者」ということで名乗り、松虫にはそういう意味で名を付けたのだろう。 声なき娘に「美しい声で啼く虫」の名を付けたセンスも捨てがたい。
もう一つ、松虫という名前は、謡曲「高砂」の「相生の松」から来ているのではないだろうか? と勝手に思ってみた。「外伝」にもこれが重要な話として登場するし、偶然とも思えない。 この謡の最後は「千秋楽万歳楽」を謡う言祝ぐとてもめでたい内容なのである。 (松の精=見た目・翁媼の夫婦、夫は住吉の神で実は若々しい姿。妻は松の精というだけで他のことは不明。)
先に何故初期設定の「翁面」が正しかったのでは?ということを書いたが、 「翁」「万歳楽」「相生の松」というのが一連で繋がるような気もする。
平安では晴明の従者として。
東京では鬼門(万)に対し裏鬼門に置かれた娘。
時代を変遷する中で、何時も密かになんらかの形となり、セットで行動してきたのかもしれない。
万歳楽は孤独自慢みたいに語ってるから、「セット」というとそれはおかしいだろう?となるが、 彼女は彼の一部に近い身内状態だから彼にカウントもされていないのでは?と思われる。 (外伝の「賭弓」では光を「女の気配」として認識しているのに、松虫はスルーである。)
 松虫は空気みたいな<万歳楽の所有物>と思った方が近い。  



終わり